目常的な生活だけでは、どんどん気が枯れていく!
ところで、世界中に古来からある祭祀(日本のお祭りや力ーニバルなど)には、大きな共通点があるそうです。人間は、毎日の生活をくり返しながら、気持ちや命がどんどん老化していきます。どんなに抵抗しても、だんだんと若さを失い年老いていくのです。この「気が枯れた状態」がけがれであり、それを回復できるのが「祭り」だということは先ほど記したとおりです。
しかし、なぜ「祭り」をすると生命力が戻るのでしょうか。
じつは、生活の中でどんどん老化していく気持ちや年齢は、日々の所作では戻らないそうです。どうしたら戻るのかというと、「異常な行動をとることによって戻る」のです。
「異常な行動」というのは、「日常的ではない行動」。つまり、ふだん行わないようなことをやって、若さを取り戻そうというのがお祭りなのです。たとえばお正月には、門松をたてたり、羽織袴を着たり、しめ縄、餅つき、凧あげ、カルタ取り……と、ふだんやらないようなことばかりです。こうして、ふだんやらないようなことをやって、気を若返らせ、生命力を戻すことができるのです。
くわしく言えば、これは「形式的なものを徹底的に守る」という異常な行動です。徹底的に、お正月という形式を踏襲して、みんなで集まっておせちを食べたり、門松をたてたり…という、非日常的な形式をくり返すことで若返るのです。これが、「異常な行動」の一つの形です。
そしてもう一つは、形式を徹底的に否定するという「異常な行動」です。これはたとえば、ハチャメチャに騒ぐリオのカーニバルやねぶた祭り、阿波踊りなど、また、諏訪で7年に1度おんぱしらまつおこなわれる「御柱祭り」などが、その典型と言えるでしょう。柱を立ててその上に人が乗り、その柱を坂から落としたりするのですから…。毎年何が起きるかわからないハプニングがあり、それをワクワクしながら皆で期待するのです。何人も死者が出るのですが、みんな「御柱祭りは死人が出るもの」と平気で考えています。これなどは、ある部分は形式を踏襲しますが一ある部分は通常の祭りの形式を徹底的に否定したワイルドなものといえるでしょう。
いずれにしても、異常なことをすることによって、元に戻る、新しい命に戻る。これが、日本の祭りのよってたつ原則なのです。形式を徹底的に守っていくというパターンと、形式を破ったワイルドなものというパターンの2種類がありますが、そうすることで、人々が日常でずっと時間を積み重ね、気が枯れていったものが、若々しく蘇るのです。
こうしてみると、海原びらき・岩戸びらきの二大神事というのは、まさにこの「蘇りのための異常な行動」のお祭りそのものだと言えます。形式を守った「神道式祈願」を行なうと同時に世界中の宗教では絶対にやらないような、「光の列車の神事」一光り輝くイルミネーションで飾られた「光の列車」を神事会場いっぱいに走らせ一夢のようなその空間に神様を降ろす神事)や、「宇宙神界びらきの花火神事」(交響曲とレーザー光線に合わせて打ち上げる花火で、「圧倒的に美しい…!」という世界に感応し、日常生活を完全に払拭して神様と感応する神事)…といった、形式を大いに破った非日常的な夢とロマンの神事が、見事にドツキングしているのですから・・・・・・。
こうして、非日常的ですばらしい感動的なセレモニーをすることによって、若さと命が蘇るのです。家庭生活や仕事のルーティンワークのくり返しによって枯れた状態が、非日常的で感動的な異常な行動に没入することによって、命が蘇り、若さが蘇り、気力が蘇ってくるのです。お祭りとはそういう体験の場であります。それは、古代の人々の叡智であり、大自然や深層心理の法則に基づくものなのです。

