大神事は夢とロマンにあふれた舞台!

その理由は・・・

本当の神界は「夢とロマンに満ちた、童心の世界』!


 大神事の場においては、そのつど何らかのテーマ(その時の仕組の方向性にあった、天来のテーマ)にそって舞台をつくり、先生もさまざまな衣装を付けられ、神劇ともいえるドラマが演出されます。

 初めて参加される方の中には、「派手な格好やパフォーマンスを神事の場でするのは、まじめな宗教行事とは違うのではないか…?」といった疑問を持たれる方がいるかもしれません。特に、これまで「真面目一辺倒」な宗教や、「笑いは罪、楽しむことは罪悪」といった宗教を信仰しておられた方に、その傾向が強いようです。

 けれど、実際の神界は、もっとファンタジックで、夢とロマンにあふれた、毎日がドラマのような世界なのです。こうした神界の実際のすがたを、舞台装置や衣装を通して、意識やイメージで実感することによって、その神人一体となったドラマに皆が没入し、皆さまの御魂は神事の間中ずっと、時間・空間をこえて本当の神界に強く感応しやすくなるのです。これが、ワールドメイトの神事に大神力が顕現する理由のひとつでもあります。

 

 

 

 

 

 

生きているうちに、神界の感覚を取り戻すことが大事!


 ロマンに満ちた神劇によって、わたしたちの魂に感動が起こり、その神霊空間の気に没入していく…。この、感覚的な「没入感」がなければ、決して神界のフタはひらきません。なぜなら神界とは、メルヘンのような感動の奥にひろがる「感性の世界」そのものであるからです。

 それは、少年少女のような「妙」の感覚。少年少女のような感性の人でないと、本当の神さまにお目にかかることはできないのです。

 古事記や日本書紀には、ネズミが話したり、死んだ人が何度も生きかえったり…という、ふしぎな話が記されています。現実界の尺度では「荒唐無稽(こうとうむけい)」に見えますが、神霊界から見たら、それこそが真実の姿なのです。世界中にある神話も、荒唐無稽なのではなく、すべて神霊界の目から見た、真実の姿がただしく表現されているものです。女神さまがあらわれて、杖をふったらキラキラと星やジュエリーが降ってきた。気がつくとマントで空を飛んでいた…という、理屈ではないメルヘンの感性の世界が「神界」です。このことは、「星ツアー」に参加した方なら、すぐにご理解いただけるものでしょう。

 時間と空間にしばられた、この世のほうが「仮の世」であり、死んで肉体がなくなれば、感覚と感性のこうした世界へ行くのが万人共通の宿命なのです。夢とロマンにあふれた大神事は、「生きながらにして神の世界を実体験するもの」といえましよう。

 このように神事とは、大宇宙の神々さまにお会いする「夢とロマン」の場であり、また人類全体の代表として大峠をのりこえる神力をだす「使命感」発揮の場でもあります。夢とロマンこそが神界のフタをひらく鍵であり、少年少女のような心こそが、神さまを動かせる心。そして、現実界で「何としても…!」とやり遂げていく力の源が使命感です。

 ですから、どうぞこの神事にも、「大宇宙の神々さまに、御魂でお会いできるんだ…!」という夢とロマンと、「世紀末の危機、戦争、国土の沈没を弭化(無形のうちに消す)していただく、古今未曾有の大神事に、人類救済の志で参加させて頂くんだ…!」という使命感を持っておいでいただきたく存じます。そうした心で参加される方は、より深く、より強力に、ご神霊との感応がはたせることでありましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ただし、祭りというのは毎回形を変えないで、古来からのやり方を何百年何千年と継承することに意昧がある、という要素があります。それによって、先祖が祭っていたのと同じ神に出会い、バイタリティや神気をいただいてよみがえる・・・。それが祭祀であり、それ以外の要素はすべて「神にぎわい」であります。

 ですから、ワールドメイトの神事では最初に神道式の伝統的な祭りがあり、その後に現代的な神にぎわいの要素を持った神劇を行ない、また人形.形代のお焚きあげを伝統的な祭式の原点に帰って行なうのです。すなわち祭式にはじまって祭式に終わるのです。

 この「神祭り」と「神にぎわい」の両方の要素をあわせもち、時代時代の人々に大いに支持されているのが最高の御祭りといえる…というのが宗教学の祭祀論におけるひとつの結論でもあります。そのために、ワールドメイトでは、神道式の祭典と神にぎわいである超現代的な神劇の両方を行なっているのです。

※詳細については、神事前に送られるパンフレットをご覧下さい。

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